無言の葉書

 梅雨。よくまあ、これだけの水分が空中にあるものだと呆れるほど毎日雨が降る。雨の雫が重みに耐えかねて、つっと動き始め、窓ガラスを伝わって流れ落ちる。
 過日、萬年筆くらぶ会員のSさんから受け取った、少し大きめの封筒から出てきた葉書には驚いた。見覚えのある葉書。それは私が出した葉書だった。切手は貼ってあり、差出人である私の住所印はあるものの、宛名と本文が消えている。狐につままれた思いで同封の手紙を読んだ。「しばらくの間入院していました。退院してきて郵便受けを見たら多くの郵便物が入っていて、でべそさんからの葉書が地面に落ちていました。雨に打たれたのでしょう、万年筆のインクがきれいに流れてしまっていました。ご用件は何だったのでしょうか?」
 なるほど、そう言えば紙が波打っている。私の住所印も薄くなっている。しかし、ブルーのインクで書いた部分は見事に流れ去り、痕跡すら感じ取ることができない。入院期間が決して短いものではなかったことを暗示していた。
 この白い葉書を見ていたら、万年筆で書かれた葉書には、まるで命でも宿るのではなかろうかとの思いに至った。その命は、儚くシャボン玉のように消えてしまうこともある。文字が流れてしまった葉書は何も語ることはできず、無言のままSさんと対面したのだ。

 そろそろ梅雨も明ける頃だろうという日に、Sさんに再び葉書を書いた。Sさんは季語と歳時記を研究していて、MY辞典を作っているという。そのノートを是非見てみたい旨を記し、ご病気は何だったのかしらと案じながら、いつものポストに投函した。
 その数日後の雨の日、再び見覚えのある葉書が郵便受けに入っていた。それは私がSさんに送ったはずの葉書。文字は消えていない。なのに何故?
 宛名の横に「宛所に見当たりません」という郵便局の印。私はハッとして窓の外を見た。
 窓ガラスの雨の雫が流れ落ち、そして消えていった。