ダイヤストアの閉店

 アメ横をブラブラと歩くと思いがけないものに出会ったものだ。並行輸入品であったり、どこかの店の売れ残り品であったり、セミアンティーク品であったりした。それらは他ではなかなか見ることもできない品ばかりで、ワクワクしながら迷路のような横丁を探索するのが好きだった。
 そのアメ横に万年筆専門店ダイヤストアがあった。店主は女性。私は彼女のことをダイヤのママと呼んでいた。お姉さんのような、お母さんのような人で、万年筆のことは勿論、業界のことにも詳しくていろいろと教えてもらった。ある日、ダイヤストアから出てきた若い男性の二人連れとすれ違った際、「すっげー勉強になったなぁ」「ウン」と話しているのが耳に入った。ママは誰にでも親切なんだと嬉しくなった。
 椅子に座って試し書きをすることができる数少ない店でもあった。その机と椅子は気軽にさっと使えるもので、気楽に試し書きができるものだった。緊張感無く試し書きができるということは万年筆選びには必要なことなのだ。
 結婚十周年記念にと憧れだったペリカン800の緑縞を買ったのもダイヤストアだった。あの時、数本の中から一本に絞るのに一時間以上掛かった。しかし、ダイヤのママはニコニコと付き合ってくれた。嬉しかった。その800は30年近く使い続けている。
 ダイヤストアとは30数年前からのお付き合いであったが、当時だと、キャップの先端が丸いペリカンの#400の復刻版が並んでいたり、モンブランの2桁シリーズものが並んでいたりした。鮮やかで綺麗な黄色のモンブランのカレラも並んでいた。ポルシェデザインのものだ。
 「こんなもの、興味あります?」と言って奥の物入れから古い万年筆を出して見せてくれた。「なになに、それ」私の目はママの手元の万年筆に吸い付けられたものだ。モンブランの149のクーゲルを一箱見せてもらったこともある。売れ残っていたらしい。丸いイリジウムがピエロの鼻のように大きいものだった。興味が湧かなかったので試し書きもしなかった。あの時買っておけばよかった。安かったのに…。悔やまれる。
 いつもヒマワリの花のような笑顔で迎えてくれたダイヤのママがいるあの店は、アメ横のあの場所に当然のようにあったが、今はない。アメ横に数十年に亘って存在した店。万年筆凋落期は経営は大変だったことだろう。あの頃、世の中の多くの万年筆店が店を閉じた。激動の時代と言っては大袈裟かもしれないが、それを過ごしてきた空気が店内から感じられ、それが私は好きだった。
 ダイヤストアは文字通り時代と共に生きてきた。そう、生きてきたんだ。まるで生命でも宿っているかのように。
 あの鉄道のガード下のあの場所で、生きて生きて、精一杯生きて、生き尽くして、やり切って、そして、静かに消えていった。そんな店だった。
 ダイヤストアの閉店。それは一つの店の閉店というより、一つの命の終わりを感じさせられた。ダイヤストアの命の灯火が消えた。そんな印象を私は受けたのだった。