カードスタンド

 1880年頃のイギリスのものだと、私がよく遊びに行くアンティークショップの店主は言う。
 子犬を胸に抱き、壁際に佇む婦人。幅7センチ、高さ9センチ。ブロンズの重みが掌で心地よい。壁と婦人とでは金属の成分が微妙に異なっていて、質感の違いを愉しむことができる。婦人が醸し出す雰囲気、プロンズの質感、100年以上という時の流れ、それらが溶け合い何とも言えぬ優雅さと温かさを与えてくれる。
 壁の部分が小物入れになっている。小物入れの深さは5センチ。何を入れよう。できれば実用品として使うことを愉しみたい。店主も一緒に考えてくれた。万年筆、鉛筆、ドライフラワー、…。私が万年筆の愛好家であることを知っている店主はいくつか案を出してくれ、実際に万年筆を立ててみたりもした。でも、しっくりこない。なにしろ深さが5センチである。万年筆や鉛筆を立てるには浅過ぎるし、ドライフラワーも然りで座りが悪い。品物と婦人像の高さのバランスも悪く、後ろに入れた物が婦人を見下ろす状態となるのだった。
 特に万年筆を立てた場合、この組み合わせは万年筆が主役なのか婦人像が主役なのかという曖昧さも生まれた。つまり異質なふたつのものが両方とも存在を主張しており、何とも居心地の悪さを感じてしまうのだ。その居心地の悪さの理由は分からない。
 購入の決心が付かないまま、店主とのアンティーク談義も小休止となった。

 過日、画家の古山浩一さんのスケッチツアーに参加して、久し振りに水彩画を描いたことを思い出した。そのとき、私はヒマワリ・ユリ・その傍に転がる石臼を描き、その背景として茅葺きの民家を淡く描いたのだった。その絵を見て古山さんは、「この絵は何を一番描きたかったのかが分からない」「3つの中に順位をつけなくてはだめだ。そうしなければ、観る者はどこに集中すればいいのか迷ってしまう」と言う。私はヒマワリもユリも石臼も、そして背景の茅葺きの民家も、全部描きたかったのに。
また、5匹の岩魚の薫製を並列に藁で縛ったものを描いたときは、「5匹のうちどの1匹を一番描きたかったのか」と指摘された。「5匹みんな同じようには見えていないはずだ」とのこと。確かに、ヒトの目は1点を見る時、1点以外のものは背景となってしまう。広い範囲や複数のもの全てを同時に見ることは無理なのだ。

 花瓶に活けてある花。この場合、やはり目は花に集中する。花瓶は花の美しさと競ってはならないのである。カードスタンドに万年筆を入れた場合、万年筆にも目が行くし婦人像にも目が行く。どちらが主役なのか分からないことが居心地の悪さの原因であることを、水彩画における古山さんのアドバイスを思い出し、明解に理解でした。
 それではこの婦人像の制作者は何を入れるつもりで制作したのか? いくら考えても分からなかった。しかし、犬を抱いた婦人の雰囲気には非常に惹かれるものがあり、ブロンズの感触も素晴らしい。何を入れる為に作られたのか、それを考えるのも愉しみの一つだと考え購入した。
 ところが、それを家に持ち帰り机上に置いた瞬間、まさにその瞬間に閃いた。間違いない。これはカード(名刺)スタンドだ。
 ヨーロッパで最初に名刺が使われたのは16世紀のドイツだと言われている。訪問先が不在だったときに、訪問したことを知らせるために自分の名前を書いたカードを残すという使われ方をしていた。
 その後、社交界を中心にして現在のような使われ方に発展していくのだが、当時の名刺は華やかな図柄が入っており、特に銅版画を入れたものが多かったらしい。そう言えば、銀・プラチナ・象牙などのカードケースがアンティークショップの店頭ではしばしば見られる。どれも素晴らしい意匠であり、そのケースから取り出された名刺は素敵な出会いを演出したに違いないと思われる。
 この婦人像のカードスタンドはホテルやレストランのカウンターか専門店の店頭にでも置いてあったのであろう。そこから取り出されたカードが客の手に渡る。そんな場面を想像してみると、その出会いや、その後の付き合いが温かいものになったであろうと想像は膨らんでいく。これはただのブロンズの置物ではなく、豊かなコミュニケーションというテーマを持った作品であることを私は確信した。
 早速名刺を入れてみた。ピッタリ。奥行きが2センチくらいあるので、100枚くらいのカードを入れることができる。名刺の高さは婦人像の存在を妨げてはいない。材質も紙とブロンズ。圧倒的にブロンズの方に存在感があり、自然に順位が発生している。調和のとれた心地よさというものは、このようにして得られるものなのだ。
 私は今、このカードスタンドをメモ用紙スタンドとして使っている。10センチ四方のメモブロックが多く売られているが、狭い上にごちゃごちゃと万年筆が転がっている私の机では大き過ぎて邪魔になる。名刺サイズのメモ用紙が丁度いい。その名刺サイズのメモ用紙を入れて婦人像を机の右奥に置いてある。必要なときにそこから1枚2枚と取り出すのだが、その度にブロンズの婦人像が目に入る。子犬を抱いている婦人の姿からは優しさが滲み出ており、一瞬にして私を温かく包み込んでくれる。私は、そんな幸せのひと時を日々愉しんでいる。

      万筆専門店・万年筆博士発行『HAKASE通信』での連載(その6)