裸婦のシール(seal)

 手紙を書く。受け取る人を思い浮かべながら語りかける。出会った人とのコミュニケーションの時間だ。便箋をたたみ封筒に入れる。糊付けして、シール(seal)とシーリングワックス(sealing wax)を取り出す。アルコールランプでシーリングワックスを溶かし、封筒の糊付けをした部分に数滴落とす。ランプと蝋の匂いが部屋に漂う。マッチ棒で液状の蝋の形を整える。慌てる必要はない。蝋はそれほど速くは固まらない。シールを手に取り、軽く押しつける。蝋が固まる頃、シールを浮かせる。シールに刻印されている文字や絵が、個体になった蝋の表面に残される。日本でいう封印・緘印である。
 このシールの持ち手だが、素晴らしいものが多い。この持ち手と刻印部分を合わせて一般にシールと呼んでいる。持ち手の素材はブロンズ、真鍮、銀、木などがあるが、どのシールも実に素晴らしい芸術作品だ。

 私は裸婦のシールを持っている。イタリア製で素材はブロンズ。ブロンズの小物の場合、表面をルーペで拡大して見てみると、きめ細かな擦れキズのようなものがびっしりとあるのが判る。鋳型から取り出し、その表面を時間を掛けて仕上げるのである。ただバリを削るとか凸凹を取るとかの仕上げではない。皮膚や衣服などの表情を表現するのである。肉眼では見えないような仕上げにより生き生きとした命が作品に吹き込まれる。私の裸婦のシールにはそのような躍動的な力がある。また、時の流れの中で実に深い色合いになっているのも素晴らしい。鍍金や着色では表現できないであろう、深みと味わいがある。
 イタリアでパチネと呼ばれる液体がある。真鍮やブロンズなどの金属製品をパチネに浸す。錆止めの効果があり、深い色合いを出す効果もある。酒に鉄や葉などを入れて作るという。まるで煎じ薬のようだ。試行錯誤を経ながら効果は確かめられ、パチネは成熟していく。パチネの作り方は、それぞれの職人の家で数百年の間、代々引き継がれ、作り方は決して明らかにされない。正に「秘伝のたれ」なのだ。「パチネがいいね」「パチネが効いているね」「パチネがいい味を出しているね」などという言い方をして、真鍮やブロンズの小物の色合いの魅力を表現する。
 鍍金や着色ではこのような表現はできない。鍍金や着色の多くは完成時が最も美しいが、時の流れの中で少なからず色褪せてくる。その点パチネは違う。徐々に渋みが増し、新たな魅力が増してくるのだ。アンティーク品に関して何も知識がない私であるが、私の裸婦のシールは、これらのことが素直に納得できるような味わい深いものをもっている。
 数年前にイタリアへ行った。ミラノ、フィレンツェ、ローマを歩いた。パック旅行ではなかったので、地下鉄・電車と徒歩が中心。だから、街並みを舐めるように見ることができた。こぢんまりとしたレストランや八百屋が驚くほど多い。そして次に多いのが文房具屋。さらに驚くべきことは、その文房具屋で売られている物がそれぞれ違うということ。日本の多くの文房具屋はどこの店でもメーカーから取り寄せた同じ物を売っている。ところがフィレンツェの文房具屋は同じ様な便箋・ノート・ペンケースでも店によって異なるのである。「これは誰が作っているのか」と聞いてみたら、「革製のノート類は私の父と伯父が作っている」と言う。「マーブル模様の紙は友人だ」とのこと。それぞれの文房具屋が、付き合いのある職人から取り寄せているのだそうだ。だから、同じものがなく、それぞれの店で品物に違いがあるのだ。フィレンツェが職人の町だということを感じた。
 フィレンツェでは、ある若き革職人を訪ねた。「新製品の開発をしないのか」と訊ねると、いくつかの小物を手に取りながら彼は言った。「私は祖父・父から技術を学んだ。その伝統を守り、製品を作り続けることが私の第一の仕事であり喜びなのだ」
 効率よく大量に作り、利益を追求する。そんな世界的な流れはフィレンツェにも押し寄せていることだろう。しかし、伝統を守ることが仕事であり喜びであると言い切る、その自信に溢れた顔に、イタリアの文化の深さを改めて感じた。
 イタリア人は自分たちの文化を守ることに真剣だ。例えば、街には400年以上前の建築物が並んでいるが、内装は変えてもよいが外装に手を加えてはならないらしい。無政府状態の長い歴史があったからなのだろうか、自分たちの生活や文化を守ることにイタリア人は真剣であり誠実であり、なおかつ大らかである。
 話は逸れるが、イタリアにはバールが沢山ある。エスプレッソ1杯が1ユーロ。何故安いのか? 1杯のコーヒーを飲むのは、どんな人にも平等に与えられた基本的人権であるという考え方があるからだそうだ。そして、ナポリにはこんな風習もあるらしい。ゆとりのある人がバールに入って1杯のエスプレッソを飲み、2人分の代金を払っていく。ある時、懐の淋しい人がやってきて、バールの主人に「カフェ・ソスページある?」と訊ねる。主人がこっくりと頷けば、その人はただでエスブレッソを飲むことができる。カフェ・ソスペーゾ、何とも粋な風習である。
 閑話休題、このような語り尽くせぬイタリア文化が生み出したパチネ。そのパチネによって深い味わいを醸し出している、私の裸婦のシール。机上で静かに文化と時の流れを語ってくれている。

 鳥取県にある「万年筆博士」という万年筆専門店。そこが『HAKASE通信』という冊子を作っていることを知って取り寄せた。世の中がワープロやパソコンの話題に溢れ、万年筆は凋落するばかりの頃である。一つの挑戦であったのだろうが、その取り組みの背景に私は文化を感じた。
 ある年の『HAKASE通信』に載っていた、鞄の小さな写真。その鞄を見たくて、『HAKASE通信』を握り締め辿り着いた一件の店。それが銀座にある「北欧の匠」だった。そこで店主の成川さんと出会い、その後の多くの出会いに結びついた。『HAKASE通信』は、私に出会いの素晴らしさを教えてくれた。
 『HAKASE通信』は一時途絶えるが、画家の古山浩一氏の声掛けにより再出発となった。万年筆の殿戦と「万年筆博士」の山本社長は言われた。山本さんと古山さんの万年筆文化を守る闘い。その殿戦に加えていただけるとのことで、連載などの経験のない私であったが、思い切って飛び込んだ。
 私は、「コミュニケーションを大切にする小道具」をテーマにして連載を書くことにした。万年筆店の発行する冊子なのに、万年筆のことを書かないのは少々躊躇われたが、『HAKASE通信』だからこそコミュニケーションを大切にしたかった。
 『HAKASE通信』の読者から、「私もタンブラーやレターケースを探して歩いた」とか、「記念切手を買ってみた」というお手紙をもらったりもした。ちょっと心の贅沢をしてみたいと思うこと。そんな思いをもった人が『HAKASE通信』の読者の中に少なくないことを私は感じている。
 思えば、「万年筆博士」は「秘伝のたれ」を持っている万年筆店なのである。職人技、素材選び、オーダー用紙の確立、交流会、客とのコミュニケーション、そして『HAKASE通信』。これらは「万年筆博士」が長年の営業の中で創り上げてきた店特有の「たれ」である。その「たれ」によって万年筆の味わいが増してくるのである。今号をもって私の連載は終了するが、万年筆博士の「たれ」の味わいが今後一層深まっていくことを心より願っている。
 時が経てば経つほど美しさを増す万年筆、愛着がわく万年筆。そんな万年筆を使うことの幸せを感じながら連載のペンを擱く。

      万筆専門店・万年筆博士発行『HAKASE通信』での連載(その7)