モンブラン 344

 student model(1950-1958)とモンブラン関連の資料には書かれている。普及版であったらしく、クリップの鍍金が剥がれてしまっているものが多い。ペン先は適度に柔らかく、滑らかな書き味は現行品のモンブランとはやや異なる。
 私の344の胴軸にはEGON GOOSSと刻印がある。人の名前かもしれないし、学校の備品記号かもしれない。いずれにしても、当時の学生が希望に燃えて新しいことを学ぶときに使ったのであろう。
 344を手にするとき、私は学生になったような溌剌とした気持ちで数学と取り組むことができる。数学の世界がロイヤルブルーのインクで展開されてゆく様は、喩えようもなく美しく、伴う辛さを忘れさせてくれる。時に、理論の厳しさ、純粋さは、私に畏れの感覚をもたらすこともある。構築された論理の世界を見るとき、本当に人間が作り出したものなのかと信じ難い思いもする。
 夜も更け、獲得できた知識を確認しながら344のキャップを締めるとき、数学がもつ純粋さへの憧れはまた一段と増してゆき、これが私の選択した人生なのだという思いに浸ることがある。344と共に取り組んでいる数学は、最先端の数学からは程遠いものであるが、“学習者”である私にはそれで十分なのである。

            『4本のHEMINGWAY』(1997年)に掲載