詩人とウィスキー

 萬年筆くらぶ会員の冨澤文明さんは詩人である。「十八歳の時から詩に憑かれ、詩の営為を唯一の生き方途と信じ、そこにすべての自己証明を賭して生きてきた」と、冨澤さんの著書『夏の栞』(七月堂 一九八三年)のあとがきにある。
 詩人の言葉は読み手の心の中にグイッと入ってくることがある。詩人の使う言葉は力を持っている。決して多くはない言葉から読み手は無限の大きさのものを読み取ることができる。
 私は冨澤さんから受け取った手紙の一部をノートに書き写すことがある。ノートに書き写しながら言葉の力・魅力というものをしみじみと味わい、詩人と対話するのだ。そんなときは必ず傍にはウィスキーの入ったグラスがある。
 至福の時が流れる。

 ある日冨澤さんから電話があった。万年筆の話からウィスキーの話になり、冨澤さんは私に聞いた。
「何をいつも飲んでいるんですか?」
「サントリーが多いです」
「そうですか、サントリーですか。サントリーの何ですか? 山崎? 白州? それとも知多?」
「リザーブです」
少し間をおいて、
「・・・リザーブですかぁ」と冨澤さん。
 その数日後、冨澤さんから受け取った荷物に同封されていた手紙にはこう書いてあった。

 貴兄がウィスキーを深夜ひとりで自らに乾杯しながらしずかにしずかに恕の心をもって飲んでいることは知っていました。しかし、酒の等級がリザーブ止まりだったとは感動の話です。
 「白州」の旨さを是非貴兄にも味わってもらいたいと思い、今回、愛する肴と共に贈ります。「白州」、このシングルモルトウィスキーの旨さ、まろやかさ、繊細さ、そしてよくぞ日本人がこれだけのウィスキーを育て上げたと感嘆します。
 ここに友誼の愛をこめてフエンテ100号のために、そして、フェルマー出版社のために一本贈ります。心おきなく飲んでください。
            *            *

 しずかにしずかに恕の心をもって飲んでいることは知っていたと詩人は言う。闘いの影には恕の心が必ず存在する。闘いの相手や対象に対する恕。そして自分自身に対する恕。それがなければ闘いは単なる争いとなってしまう。闘いというものは、お互いがお互いを理解し合い、理解を深める行為のことであると私は思っている。
 詩人は私の闘いの何たるかを知っていた。当人である私自身には、その闘いの影を自覚することはあまりなかったが、しかし、詩人には見えていた。そして詩人はそれを言葉にする。闘いの日々を「深夜ひとりで自らに乾杯しながらしずかにしずかに恕の心をもって飲んでいる」ような日常だと。
 因みに手紙文中に出てくる「愛する肴」とは詩集や資料である。
 別の日の手紙にはこうある。

 詩人とはドイツ語でDichterといい、絶対を探究するもののことです。詩作することが思索することに。探究することが哲学することです。たぶんあの美しい数式の整合性と絶対の真理を探究する純粋数学と表と裏の関係にあると思っています。
            *            *

 ペリカンの万年筆をこよなく愛し、毎日のように思索の旅に出るという詩人も、至福の闘いを続けているのだろう。

                            fuente 83号 掲載