ハマスホイの絵画と『fuente』

 ハマスホイ展に行った。入場して最初に目にした、都立美術館が設置したパネルに釘付けになった。
 「急いで語らなければならないような芸術家ではありません」
 この言い回し、持ち上げるのかと思いきや、落とす。来館者にいきなり否定文を投げつける。
 ウーン、なるほどね、ハマスホイ、そうかもね。作品をしっかりと観て、このコピーの真意を考えることにしようと思い足を進めた。
 ハマスホイの作品は、要素を徹底的に排除し、吸い込まれるような静寂に満たされている。装飾品や家具のない、ほの暗くがらんとした室内の絵。時には妻らしき女性の姿も描き込んであるが、その女性もほとんどが後ろ姿で、その感情は読み取れない。妻を尊重し、一度割れた陶磁器のパンチボウルを継ぎ合わせるなど、人やものを大切にする丁寧な暮らしぶりが表現されている。他の画家からはなかなか感じられない謎めいた不思議な静けさに、私は引き付けられていった。
 時代は印象派に続いてポスト印象派が登場し、象徴主義、キュビズム、表現主義など、強烈で魅力的な新しい芸術が次々と生まれたころである。ハマスホイも大きな影響を受けたであろうが、彼はそのなかで独自の絵画を追求している。時代に流されない静かな生き方を選択した。

 「急いで語らなければならないような芸術家ではありません」
 館内を歩いていると再び心の中に響いた。
 ハマスホイは北欧のフェルメールと呼ばれることがあるが、ある画家によると、フェルメールより3段くらい落ちるとのこと。
 しかし、私はフェルメールの作品に負けないくらいの感動と充足感を味わった。私には絵画の技術やテクニックは理解できない。できないが故なのかもしれないが、ハマスホイの作品はごく自然に私の心に染み込んできた。たまたま私の心と共鳴しただけなのかもしれないが、芸術作品には技術やテクニックとは次元が異なる何かが備わっているようにも思える。

 「急いで語らなければならないような芸術家ではありません」
 美術館に行った日以来、心の中でこのコピーが時々思い出される。
 作品に添えられていた解説によると、オランダではヒュッゲ(hygee)という価値観が大切にされているとのこと。それはくつろいだとか心地良い雰囲気というものを意味する。デンマーク国立美術館蔵のヴィゴ・ピーダンスの「居間に射す陽光、画家の妻と子」などはヒュッゲを表現している最たるもの。真に尊いものは日常の一瞬に宿ることを強く感じさせてくれる作品だ。

 年に僅か3冊の、私が発行している萬年筆くらぶの会報誌『fuente』。
 「急いで作らなければならないような冊子ではありません」
 「何かを期待して作るような冊子ではありません」
 ハマスホイの絵画のなかの日常のように、書き手にとっても読み手にとっても、『fuente』が生活に溶け込んでいるヒュッゲな存在であったら嬉しいと思って作り続けている。
 日常の一瞬に何かが宿るような『fuente』。そのような『fuente』を今後も作り続けていく。
 急ぐことはない。