ふでDEまんねん スケルトン

 「作ってみました。使ってやってください」との簡単なメモが添えられていた。箱の中から出てきたのは透明軸のふでDEまんねんだった。
 エッ! エッ?! エー!!
 透明軸のふでDEまんねんスケルトンを手にして、私は驚きの声をあげた。
 アラ~、アラララァ~!!
 と歓喜が加わり、心の中に幸福感が広がっていった。

 屋外でスケッチをしていると、ついつい夢中になってしまい、気が付けば1時間を超えることもしばしばある。その途中でインクが切れると、そして、その瞬間が大切な1本の線を引いているときであったら、それは最悪のことである。出掛ける前にインクの残量を確認すればよいのだが、つい忘れてしまう。胴軸を何回も回してインクの残量を確認するのは面倒でもある。
 ああ、ふでDEまんねんの軸が透明であれば、どれだけ楽なことか。そろそろインクが切れるなと分かれば、ちょっとした小休止の際にインクの補充ができる。それは気分転換にもなり歓迎したいことだ。
 ある日の夜、あと数ヶ月後にセーラー万年筆を定年退職される長原幸夫さんの顔が頭に浮かんだ。そうだ、長原さんに声を掛けてみよう。どのような職場なのか全く見当はつかないが、ユーザーの声として伝えておけば半年後か1年後には実現するかもしれない。長原さんが在職中の今しかない。何事も行動しなければ実現しない。
 どのようなことを書いたのか覚えていないが、透明軸のふでDEまんねんスケルトンがあればいいなぁ~という気持ちを書いて投函した。
 それから1週間も経っていなかったと思う。長原さんから宅配便が届いた。何だろう。この前葉書を出したばかりだ。出した葉書と行き違いくらいのタイミングだ。不思議に思いながら箱を開けると、中から現れたのは、夢に描いていたふでDEまんねんスケルトンだった。こんなものがあったらいいなあと思い憧れていた透明軸のふでDEまんねんスケルトンの実物が目の前に現れたのだ。驚きと喜びが幸福感を何百倍にもしてくれた。
 次の日から私はふでDEまんねんスケルトンで描きに描きまくった。1枚15分と決めて3枚続けて描いたり、1時間くらい掛けてゆっくり描いたりと、暑い日も少し寒い日も描き続けた。1枚15分と決める訳は、目の前の風景のどこを切り取るか、どこの線を選ぶか、どこの線を省略するかを瞬時に判断するトレーニングなのだが、私には難しい。しかし、その困難さをふでDEまんねんスケルトンは乗り越える手助けをしてくれた。私を励ましてくれた。インクが充分あれば安心して描くことができるし、目に見えて少なくなってゆくインクの減り具合に、描いている実感を覚えたりと、インク残量が一目で分かることがこれほど効果的だとは思ってもいなかった。
 絵を描くことに集中できる。ふでDEまんねんスケルトンで引く線の伸びやかなこと。使っていて気分がいい。描いていて楽しい。描くことが面倒になっても、ふでDEまんねんスケルトンは描くことを止めない。私が疲労を感じても、ふでDEまんねんスケルトンが頑張ってくれる。未熟なりに、なかなかいいぞと思える絵がたまに描けたりもした。きっと長原さん、ペン先の調整をしてくれたんだろうなあ。他のふでDEまんねんと違うもの。これはいい! ガンガンいける。
 インクはセーラーの極黒。顔料インクだから耐水性がある。そのインクがキャップ内に飛び散って透明のキャップが不透明になってきた。ペン先も汚れてきて、刻印が見えないくらいになった。そんなに荒っぽく使っているわけではないのだが、連日酷使したのは事実だ。
 1年も経ったことだし、たまには洗ってやろうと、キャップとペン先を水洗いした。キャップの内部はすぐにきれいになったが、ペン先の汚れはなかなか取れない。通常のふでDEまんねんのペン先にはSailor F-2(もしくはイカリマークとMF)と小さく刻印があるだけで他の装飾模様はなく、汚れが落ちれば赤茶っぽい金色の面が平面的に光るはずなのに、いくら洗っても汚れのようなものが落ちない。どうしてだろうとルーペを当てて覗いてみた。
 エッ! エッ?! エー!!
 1911 イカリマーク 14K そのまわりに装飾。
 それは、ふでDEまんねんに標準で付いているスチールペン先ではなく、セーラー万年筆の14金のペン先だった。
 アラ~、アラララァ~!!
 1年近くも知らないで使っていた。やけに描きやすいとは思っていたが、まさか14金ペン先に交換されているとは思わなかった。
 この1年間、14金ペン先付きのふでDEまんねんとは知らずに、私は描き続けていた。何ということだ。目を閉じると、作品の何枚かが頭の中に浮かんだ。
 それにしても長原さん、14金ペン先の件には一言も触れておられぬ。1年間も気付かずにいただけに、告げられていなかったという事実が重い。そして、あたたかい。
 心憎いなあ。
 長原幸夫とは、こういう男なのだ。

                            fuente84号 掲載