ライティングボックス

 IRENE FROM MOTHER ON HER BIRTHDAY  NOV.8TH.1915.と刻印がある。縦23センチ、横34センチ、高さ15センチのライティングボックス。箱の中にはレターセットや筆記具・インク瓶を収納することができ、蓋を開くと現われてくる革張りの斜面の台で筆記をすることができる。
 子どもが成長し文字が書けるようになる。親として子どもの成長をみることは何よりも幸せなことである。そして更に年を重ねて、複雑な人間関係の中で生きるような年齢になったときの誕生記念の品として、このライティングボックスは贈られたのであろう。「人と人とのコミュニケーションを大切にするのですよ」という教えが親から子へと、ライティングボックスを介して伝えられる。当然、日常の親の振る舞いからも、子どもは自然と学んでいるはずではあるが、子どもはその教えをより確かな生活信条として確立していく。
 美しい木部には真鍮の帯が埋め込まれている。木部と金属部との隙間は全くない。2種類の異なった材質の面は、完全な一つの平面を構成している。一生のパートナーとして十分使用に耐える造り。こんなにも堅牢で優雅なライティングボックスを子どもの誕生記念品として贈るという文化が存在していたわけで、何とも羨ましく感じてしまう。
 羨ましい思いに浸りながら、私はアンティーク品に接することの魅力を再確認するのである。アンティーク品の魅力、それはまず質の良さ。職人として誇りの持てる品を造ろうという熱意と技術を感じる。そして、年月を重ねた味わい・美しさ。これは決して人工的に造ることはできない。キズとて美しさを表現する要素となっているものもある。更には、その時代の文化・価値観を再認識できること。科学は進歩しているものの、他の多くの分野は、ある時期を境にして衰退していっているのではないかと思われる昨今、我々は何を失ってしまっているのかを、アンティーク品が気付かせてくれる。
 人との付き合いの大切さを伝えるという親としての務め。手紙の果たす役割。手紙を書く楽しさ。それらが極めて日常的であったことを、このライティングボックスは教えてくれている。

    万年筆専門店・万年筆博士発行『HAKASE通信』での連載文(その1)