クリスタルタンブラー

 私は、深夜、ウィスキーをロックでチビチビと舐めながら本を読んだり、手紙を書いたりするのを楽しみとしている。そのゆったりと流れる時を共に過ごすパートナーとして万年筆が重要な存在となっているのだが、机上にお気に入りのタンブラーが欲しいと思っていた。どうせなら、透明度の極めて高いクリスタルガラスがいい。琥珀色の液体と氷の共演を楽しみたかったのだ。
 クリスタルと言えば、その透明度の高さで信頼を得ているバカラが有名である。多くのメーカーが酸化鉛10%の含有量でクリスタルと呼んでいるが、バカラの場合は30%なんだそうな。酸化鉛がどのような代物なのかは不明だが、バカラの透明度の高さに憧れをもっていた。しかし、憧れのまま時は過ぎていった。
 小樽を訪れた際、北一ガラスのクリスタル館に寄ってみた。カッティングの異なる数種類のタンブラーが置いてあった。買うと決めていた訳ではないが、選択という行為は楽しいものだ。グラスの中で氷がクッと動く様子を想像しながら消去法で選んでいったら、最終的に一番シンプルなものが残った。飽きのこないデザインだ。それを手にして、こいつと共に時を過ごそうかと考えていたら、店員が「他のものも出しましょうか?」と言う。「他のもの? 同じじゃあないんですか?」「ええ、手作りですから若干サイズが違うんですよ」
 並べてみると確かに高さ、径、重さが違う。「椅子に座られて、実際に使っているように持ってみて下さい。そうしなければ、違いは実感できません」と店員は言う。言われるままに椅子に座り、タンブラーを手にしてみる。僅かな差だが、手の中にすっと収まるものと、そうではないものを感じた。持ったときのバランス、重心の位置も微妙に異なり、楽しい選択が続いた。氷が溶けてくると、氷とガラスがぶつかり、カランと音を立てる。その音色を楽しんでいる自分を想像しながら何度も何度も持ち比べ、これだという一つを決定した。
 このようにして、私の手にピッタリのタンブラーを書斎に持ち帰ることになったわけだが、あの購入場面を思い返してみると、正に万年筆と同じではないか。椅子に座って実際に手に持ち、手に合ったものを選択する。そのようにして選んで購入してほしいという店員の願い。店員には売り付けようという姿勢は全くなかった。私の選択という行為に寄り添ってくれ、話し相手になってくれただけだ。その姿勢はクリスタルの透明感の向こうにあるものを感じさせ、嬉しい出合いとなった。

 ところで、私はこのタンブラーを切手貼りに使っている。切手貼りにタンブラーを使っている者は、世界中で私一人だと思っている。
 氷を入れてしばらくすると、タンブラーの外壁が結露して水滴が発生してくる。そのガラス面に切手を貼り付け、水分を切手裏面の糊に含ませてから葉書に貼るのだ。一枚の葉書を書き終えるころ、また新たな水滴が発生しており、楽しい作業に移ることができる。
 美しい切手を貼ることにより、万年筆で書かれた葉書は、お粗末ではあるが、私の一つの「作品」となる。その作品には、タンブラーが結露するまでの時間が含まれている。
 万年筆・葉書・切手とタンブラーとの共演。
 無音の書斎の中で営まれる、私の生活の一場面である。

      万筆専門店・万年筆博士発行『HAKASE通信』での連載(その5)