fuenteという奇跡

 私は萬年筆くらぶという万年筆愛好家が集う会を主宰している。くらぶでは『fuente』という会報誌を年3冊発行しており、毎号、万年筆愛に満ちた文章が会員から投稿されている。
 書籍『fuente』を楽しむ。それは文字通り『fuente』に書かれている万年筆のことを、そして、それを書いた人の思いや経験談を読み楽しむことだ。
 「『fuente』を楽しむ」ことの延長に「『fuente』の世界を楽しむ」という様々な行為があり、私はそれも楽しんでいる。以下お話しするのは、あくまで私の「『fuente』の世界の楽しみ方」である。

 『fuente』が存在していること。そして、『fuente』の発行が30年近く続いていること。これは奇跡であると私は思っている。3号雑誌と揶揄する言葉が示しているように、雑誌や同人誌は続いても3号までと言われることがある。しかし、『fuente』は4号以降も執筆者が途切れることがなく続いた。内容が自由であり、文章の巧拙は問わないことを前面に出していることもあるが、万年筆の魅力は無限にあり、執筆者の、書きたいという熱意が高いことが見て取れる。
 それにしても寄稿数の多さに改めて驚いてしまう。平均20本として88号で1760本。ページ数にしてみると、平均60ページとして88号で5280ページだ。88冊の『fuente』を平積みにすると、その高さは約30センチとなる。これだけの原稿が集まってくること。これは奇跡以外のなにものでもない。
 次に費用。費用捻出は同人誌発行上の課題の一つだ。『fuente』発行にも、印刷費用・製本代・送料・通信費・その他の経費とそれなりに支出がある。今日ではクラウドファンディングというシステムもあり、夢を実現させたいと思う人は、そこで資金を作ることもできる。しかし、萬年筆くらぶ発足時には、そのようなシステムはなかった。私がパソコン通信上で声を掛け、集まった原稿を家庭用コピー機で印刷し、手作業で製本した。コピー機のトナー代などの費用は私のポケットマネーから出した。
 号を重ねるにつれて会員が増えてきて、製作部数とともにページ数も増えてきた。家庭用コピー機では限界があり、印刷を外注することになった。その頃から、会員の何人かが切手や万年筆を送ってくれるようになり、紙上バザーなどもやった。同時に、会費を集めたらどうかという提案も多くもらった。資金は必要である。長く続けるには私のポケットマネーだけでは到底不可能だ。しかし、会費という形式にはしたくなかった。会員は会費を払うという義務が発生し、私には『fuente』を作り、届けるという義務が発生することで、『fuente』の発行が遊びではなくなるだろうと予想した。
 ということで、任意のカンパを募ることにして、今日まで続いている。任意のカンパにはいろいろな種類がある。現金、クオカード、切手、そして、食べ物や飲み物などもあり、その都度、送り主には礼状を送り、交流を楽しんでいる。
 このような形で任意のカンパが集まること。これも奇跡だ。これをシステムとして始めることは不可能なことだ。紆余曲折しながら、何となく乗り越えてきた。何年もかけて何となく乗り越えてきたからこそ、今の着地点がある。なんとかなるもんだなあ~という思い。しかし、この任意のカンパがなければ『fuente』を続けることができなかったのは間違いない。
 奇跡は他にもある。
 人との出会いがそうだ。素晴らしい人たちに出会った。出会いが新たな出会いを生んだ。出会った人たちは私に活力を与えてくれた。希望と展望を与えてくれた。交流会等、いろいろな場面で助けてくれた。萬年筆くらぶを豊かに大きくしてくれた。人との出会いがなければ、萬年筆くらぶは続いていなかったと思う。私一人の力では何もできやしない。

 原稿が集まるという奇跡。
 会費をとらなくても運営できるという奇跡。
 出会いの奇跡。
 このような奇跡があったからこそ『fuente』は続いた。
 これらの奇跡のうち一つでも欠けたら『fuente』を続けることはできなかった。いくつかの奇跡が全て揃って起きたということ。これも、また奇跡なのだ。

 『fuente』を年に3冊作ることができる。
 『fuente』を年に3回、会員に届けることができる。
 『fuente』という遊びを創造している。
 『fuente』という遊びが存在している。
 これらの奇跡を再確認してみること。これが私の、「『fuente』の世界の楽しみ方」なのだ。
 私はこのような意識の遊びの中に時々自分をおいてみる。そのとき、人生とは奇跡の連続だと改めて感じる。
 この奇跡を、いましばらくは楽しみたいと思う。