ペリカン500

 机の引き出しの奥からペリカン500の茶縞が出てきた。こんな所に仕舞ってあったのかと30数年振りの再会に驚いた。
 当時、ペリカンの万年筆には500、600、800の3種類があった。500は1940年代の400の復刻版で、現行品のスーベレーン400にあたるか。600は500の上位機種。800は現行品のスーベレーン800にあたる。
 1940年代の400への強い憧れをもちながらも出合いがなく、例えあったとしても、あまりにも高価で、とてもではないが買うことはできなかった。自ずと復刻版の500を買うことになる。
 500には緑縞と茶縞の2種類があった。現在は不明だが、当時のペリカンの縞は、1枚の透明な板に縞模様を着色してあるのではなく、次のような工程で作られていた。まず水平な面の上で、透明な樹脂の板と着色された樹脂の板を交互に接着させながら重ねてゆき、ブロックを作る。そのブロックを垂直方向にスライスすると縞模様の板ができる。それを筒状に変形するのだ。そのような製法で隙間はできないのか。剥がれることはないのか。亀裂は生じないのか。いろいろと心配になるが、いままでそのような話をあまり聞いたことはない。
 私は茶縞の方が好きだった。緑縞の方はというと、まるで緑色のペンキをベッタリと塗ったような均一さで、遊び心が感じられなかった。その点、茶縞の方は色むらがあり、それが透明樹脂を通過してくる光を受け止め、複雑な表情を生み出していた。その透明感はオリジナル400と比べたら落ちはするものの、とても魅力的なものだった。
 しかし、500には不満な点が2つあった。一つはペン先の硬さ。ペン先にHFと刻印があった。これはハードF。硬いFだ。1990年前後の社会の要請だったのか。硬過ぎるタッチの感触はオリジナル400の滑らかなペン先の対極にあるもので、これを400の復刻版として愛用していく気持ちには到底なれなかった。
 売れなければ商品としての価値はない。売れるものを作るという姿勢は十分理解できるものの、ここまで硬くする必要はないだろうと残念でならなかった。
 もう一つは首軸にクッキリと残っているバリ。他のメーカーをみても、ここまでバリが残っている万年筆はあまりない。「1940年代、大量生産することにまだ人類が恥じらいを持っていた」と畑正憲氏が書いていたが、このバリはもう、恥じらいを忘れてしまったとしか思えないような情けない姿であった。500の上位機種である600と800にはバリは見られない。500はバリを処理する工程を省いて、少しでも安く仕上げようとしたというわけだ。
 企業として利益を少しでも上げるためには仕方がないことなのだろう。しかし、ペリカン500を手にする度に、ペン先の硬さとバリが気になり、遂にインクを抜いて引き出しに仕舞ってしまった。

 30年振りに再会したペリカン500を見て、500に対する当時の複雑な気持ちを思い出した。手にする度に不快な気分になった、その不快さをリアルに思い出した。しかし、いまは、その複雑な思いは当時の思いの10分の1位になっていることに気付いた。寛容になったのか、諦めてしまったのかは分からないが、ペン先の硬さについては、これも個性かなと受け止めた。インクの流れは良いので、タッタッタッと高速で書くときには一気に進められて結構快適。
 首軸のバリ。今まで大変なこと、辛いことを沢山乗り越えてきたじゃないか。もう見掛けなんぞ気にする歳でもあるまい。使っていくうちに、バリも擦り切れて目立たなくなってくるだろう。
 大量生産することへの「人類の恥じらい」。いまの世の中、世界情勢も政治も「恥じらい」どころか超特大の「恥」だらけ。もはや畑正憲氏の言うように美しくも繊細な「恥じらい」を感じる時代ではなくなってしまっているようだ。しかし、私は畑正憲氏の言う「人類の恥じらい」は大切にしたいと思っている。ただ、この思いをペリカン500を対象にして振りかざすつもりはなくなった。
 と言うわけで、さほど問題なくペリカン500は机上の仲間に加わってしまった。

 30年振りに再会した万年筆を見て、この30年間のことをいろいろと思い出してしまった。ペリカン500を購入した当時は、まだ30代だった。若かった。仕事、子育て、親のことなど、毎日が体当たり。数学もスポーツも夢中で取り組んでいた。
 いま、仕事はリタイア。子育ては孫の見守りと変わり、親は既に見送った。数学は眺めるだけとなり、もう険しい道には踏み込まない。スポーツはジョギングを交えたウォーキングのみとなった。
 気に入らなくて30年間使わなかった万年筆。存在すら忘れていた万年筆。その万年筆が30年間という時間の壁を越えて目の前に現れ、30年という時の流れを一瞬にして照らしてくれた。愛用している万年筆がその役割を担ってくれることはよくあることだが、気に入らずに引き出しの奥に仕舞い込んでいた万年筆が、その役割を果たしてくれることがあるとは思ってもいなかった。
 共に過ごしてきた愛用の万年筆ではない。人生のある時期の短期間、負の方向で私を「夢中」にしてくれた万年筆。30年振りの再会で、ペリカン500はそんな思い出深い万年筆となった。