ガシガシトレドの冨樫さん

 外でスケッチをしていると目に見えるもの全てを描きたくなる。海外でのスケッチの場合は尚のことで、目の前の感動的な風景を全て持って帰りたくなり、あれもこれもと一枚の紙の中に詰め込んでしまう。
 画家の古山さんに「詰め込み過ぎ」「どれを一番描きたかったのか分からない」「作品には主役と脇役が存在し、脇役があるから主役が生きるのだ」「説明的過ぎる」といつも言われる。そして、「1番に見せるところ、2番目に見せるところ、3番目に見せるところと絵の中に順番をつけるように」と言われる。
 そう言われても、全てに感動しているのだ。軽重などつけられない。全て描いて満足したい。もう2度と来ることはない場所なのだ。私は心の中でそう呟く。

 話は変わる。随分と昔のことになるが白銀でのペントレーディングの帰りに、会員の冨樫さんがニコニコしながら「これ、いいでしょう」とペリカンのトレドを見せてくれた。「ほお、トレドですね」と受け取ると指先に違和感が走った。見ると、胴軸の銀の装飾部がギダギダになっている。強く握ると血が出そうだ。
「ど、どうしたんですか、これ」とやっとの思いで聞いたら、
「昨夜、無性に削りたくなって削ったんです」
「何を使って削ったんですか?」
「マイナスのドライバーです」
「エッ? ・・・・」
 しばらく沈黙が流れ、冨樫さんはニコニコしながら、
「美しいでしょう?」
「・・・・」
 美しい訳がない。一羽のペリカンを除いて、他のペリカンと草木などの装飾をグジャグジャに削ってあるのだ。私はトレドを削っている時の冨樫さんの形相を想像した。
 この話は『万年筆談義』にも書いたし、古山さんの本でも紹介されている。しかし、何度でも話したくなる。書きたくなる。あの驚きと衝撃は何年経っても色褪せることがない。
 冨樫さんのトレドには一羽のペリカンが立っているのみ。他のペリカンはいない。草木もない。なるほど、これが冨樫さんの求めた美しさだったのか。

 先の古山さんの言葉と冨樫さんの行動とが結び付く。
 60歳を過ぎて絵画の勉強を始めて、いま思う。絵を描くときは心の中にマイナスのドライバーを持つことも必要なのだと。主役を決めたら、それ以外のものを心を鬼にして削るのだ。そうすることにより、その絵の持つテーマがより鮮明になってくる。
 よし、心の中のスケッチイメージの脇役部分を、冨樫さんのようにガシガシと削るのだ。

 冨樫さんは年に一度の萬年筆くらぶ交流会の際、ワインを一ダース差し入れてくれた。「中谷さん、大勢でワインを飲むと何本かのワインの味を飲み比べることができて楽しいですね。家で一人で飲むときは一種類しか楽しめませんからね。それに、ワインを楽しむというのは会話を楽しむことでもあるんですよ。こんなに大勢の人と一緒にワインを楽しむことができて、今夜はとても楽しい」
 冨樫さんには萬年筆くらぶ交流会で「人生を楽しむ」というテーマで講演をしてもらったこともある。実に多くのことを教えてもらった。
 昨年の6月、冨樫さんを誘って「北欧の匠」に行き成川さんと会ってきた。その足で古山さんの個展に行き、また一緒にワインを楽しもうと話をした。それが最後になってしまった。

 2023年2月6日、冨樫静夫さん、永眠。