友人の死

 郵便受けに手紙を取りに行く。差出人を確認する。見覚えのある住所。見覚えのある名字。しかし、名字の下の名前に心当たりがない。よく見れば筆跡にも心当たりがない。その瞬間、私の心は凍り付く。
 このような別れを今まで何度経験したことだろう。
 若かった頃はジグソーパズルのワンピースを失ったようで、心にぽっかりと穴が空いた状態で何日かを過ごした。
 年齢を重ねたいま、友人の死は、若い頃と同じようにジグソーパズルのワンピースの欠損ではあるが、そのワンピースを失っても、同じ形で同じ図柄の思い出がしっかりと穴埋めをしてくれるようになった。それは実体を伴わないワンピースではあるが、実体に劣らぬほどに空いた穴を埋めてくれることもある。時を経た交流が成せる技だろう。
 歳をとるのも悪くない。よく耳にするが、このようなことも、その部類なのだろう。